07.4.29NHK.TV経済羅針盤・長谷工岩尾崇社長の放送を聞いて

―鉄筋コンクリート製マンションは耐久消費財だったのか―

07.5.20 N.

 標記の番組における岩尾社長の発言に驚いている。

兼ねてより長谷工コーポレーションと言う会社は筆者が住む町田市において周辺住民の5年にわたる反対運動に抗して、588戸と言う超大型マンションの建設に主導的役割を果たし、民事訴訟や行政訴訟を誘発してきた会社であり、また、その運動を介して、各地で同種の反対運動の主要対象となってきた会社である事は承知していた。

今回の放送で彼が語った内容は既に日経新聞や産経新聞でレポートされた内容を大きく変更するものではなかったが、その談話の中で為された彼のコメントで一つ気になる点があった。それは、

「築30年超のマンションが日本全体で2015年には100万戸となり、これがこれからの立て替え需要の対象である。」

と言う主旨の発言があった事である。

筆者の驚きは「築30年」と言う短い時間を当然のごとく「立て替え需要の対象」と述べた点にある。あの発言はこれがあの業界の常識と言わぬばかりであった。

1)                         賃貸目的の鉄筋コンクリート製マンションの法定耐用年数は47年である。法定耐用年数は償却費負担の計算に使用されるもので、使用年限は最低でもこれ以上と想定しているものであろう。

2)                         近時多数売り出されている鉄筋コンクリート製マンションのローンの趨勢は返済期間35年が主流だという。35年経てば返済が終わると言う事で、その後は借金返済無しで自分の家に住めると言うことである。やっと此処で名実共に自宅と言える状態になるのではないのか?

3)                         小生の生まれ育った木造家屋は阪神大震災で倒壊するまで60年経過していた。

4)                         イギリスの賃貸用木造家屋では現在でも築200年、と言うものがざらに在りと言う。(内装は相当程度改良の人手が入っているのであろうが)

 

 上述のような視点からは、長谷工社長は、自らが商取引の主要手段として活用している銀行ローンの返済期限の達成前でも、立て替えによる新たなローンの組み直しを推奨しているかに見える。無論これは決して違法ではないが、「違法でなければ実質30年で耐用年限の来る建物を売ると言う事で良いのか?」と言う疑問が残る。

更に、もっと許せないのは「我国の財の蓄積を妨げる行為を世間に推奨している。」かに見える事である。同時に近頃世論でやかましいエネルギーの浪費、即ち、地球温暖化の加速への荷担でもある。コンクリートはその原料のセメントが熱の塊であるのみならず、廃棄コンクリートも環境破壊要因になる廃棄物として真に処理の難しい物体である。こう言えば、「消費者の使い方次第で60年でも、100年でもお使いいただいてよいのです。世間の趨勢が30年で立替のご希望があるから長谷工はこれに従っているだけです。」と言うような反論が来ることは目に見えているが、日本における、主要マンション供給業者たる長谷工の社長がこんな事を言って居るのを許してよいのだろうか?

日本では何時までも蓄積が十分でなく、GNPは世界第2位でも、国民は実感として豊かになれない、と言われるが、長谷工はこの状況を寧ろ助長する事によって、自らの業績を伸ばそうとしているのではないか?

このような長谷工を消費者は信用してよいのであろうか?工事も30年で立て替えしたくなるような手抜き工事を許容し、パーツも粗悪部品を使っているのではないか、と迄疑わせる。

同時にこのような長谷工を日本経済新聞やNHKと言う、公共メディアと目される機関が、広告でなく、主要な紙面、ないしは番組で、そのビジネスモデルを推奨したり、何の批判的視点もなく、長谷工のビジネスモデルが経済界で受け入れられ、推奨されるべきものとの印象を与えるが如き報道をする事の良識も疑わずにいられない。(日経は本年2,3月ごろであったと思うが、「長谷工の経営再建近し」との記事を掲載した。)

 

以上小生の率直なNHK.TV放送に触発された感想である。

 

追伸;

対談中立て替え需要問題に関するアナウンサーとのやり取りの中で、「既存マンションが建設当時許容されていた容積率と、現在その土地の容積率の制限が異なり、現在のほうが小さく押さえられている場合は立替対応が難しくなる。このような場合には立て替えマンションに限り昔の容積率を許容してもらえぬものか。」との発言が社長からあった。

まことに虫の良い発言と言わねばならぬ。NHKで発言するからには何らかの成算があるのかもしれないが、建蔽率が厳しく改定されたものをマンション業者の都合で逆緩和されてたまるものかとの感を強くした。

以上